トップダウンか、ボトムアップか?

トップダウンか、ボトムアップ

どうしても気になっていた記事がひと月前のJapanTimesにあって、そのタイトルが社会の変化はトップダウンで起こるのか、それともボトムアップで起こるのかというものだった。

トップダウンは行政すなわち法律で決められる。歩行中のタバコは条例で禁止、のように。飲酒運転は論外、厳罰に処せられます。
一方、ボトムアップは市民運動から発生します。市民の代表である議員さんに陳情して法制化してもらうのが近道です。

しかし、一般的にボトムアップは時間がかかります。数年から十数年の長い期間が。パワハラ、セクハラなどは長い期間を経て、誰もが認めるタブーとなりました。このようなボトムアップはマスコミの取り上げ方次第で急速に広まることがあります。

行政に働きかけてトップダウンで事を成すのか、ひとつひとつ積み重ねてボトムアップで成就するのか、道は2つです。アドボカシー活動(政策提言活動)は、ほとんどの場合、無視されます。もしくは否定的な反応が返ってきます。

地道にボトムアップ活動を積み重ねることが、誰もがそうするように、唯一残された道です。できるだけ多くの人に会って話をし、共感を得ることが大切です。しかしながら、多くの場合、努力は無駄なものとなり、時の彼方に消えてしまいます。

そこで再び、トップダウンに挑戦。鶏が先か、卵が先かのジレンマに陥ります。

従って結論は、ボトムアップ(現状)−> トップダウン(多分無視される)—> 再度ボトムアップ —> トップダウン(のれんに腕押し)—> 再々ボトムアップ —> トップダウン(却下、しかし・・・)の道を歩むことが理想なのでしょう。
そうするうちに、ビッグチャンスが訪れることでしょう。

コメントをどうぞ


友だち追加