日本人の顔のルーツを探る

【第116回ブログ】は、世界的にも多様性に富むと言われる、日本人の顔のルーツに迫ります。DNA分析により、詳しく正確に人類の進化と民族の興亡を遡求できるようになりました。そこで分かったことは、日本人は後からきた大陸の難民を受け入れて、助け合い、ともに生きてきたということです。海で隔てられていたことと、急峻な山岳地形だったからでしょうか。

【最初の日本人・港川人はアボリジニーに近かった】

矯正歯科医には考古学者の一面もあります。過去にお付き合いのあった大学の先生は、頭蓋骨のサンプルを求めて世界中を歩いていました。調べていたのは、頭蓋骨とアゴと歯の形態だったと思います。

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日本人のアゴと歯を考古学の視点からみると、縄文人と弥生人のはるか以前に、最初の日本人として、沖縄には港川人(みなとがわじん:27000年前)が、また、北海道にはアイヌの祖先が住んでいたことが分かっています。両者に繋がりはありません。

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DNA解析により、先島諸島の港川人は、アフリカからインド・東南アジアを経て、オーストラリア・フィリピン・台湾あたりに分布していた、オーストラリア系先住民のアボリジニーに近いことが分かってきました。

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港川人の特徴は、図のように、前後に長い頭蓋骨、発達した側頭筋と咬筋のために横に張り出した頬骨弓が、幅の広い四角い顔を形作っています。

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上下の歯が前後に重なり合う現代人と違って、歯先が当たる切端咬合でした。食いちぎるには好条件だったと思われます。下顎の縁は丸く、ロッキングチェアのようでした。

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【大陸から逃げてきた縄文人】

縄文人と弥生人のルーツは同じではありません。7万年前にアフリカを出た縄文人の祖先は、アラビア半島・インド・東南アジアを経て、中国長江あたりに移り住みます。

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しかし、後からアフリカを出てきた弥生人の祖先に追われて、ちりぢりになりました。チベット人やベトナム人などと同じ、Y染色体 Dグループです。Dグループの一部が、朝鮮半島から日本にたどり着き、縄文人になりました。私たち日本人の3人に1人です。

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頭蓋骨や顎の形、四角張った顔など、前回の港川人とそっくりです。でも港川人は南方系であるのに対して、縄文人は大陸系の新石器時代の人々でした。縄文人が南方系というのは、もはや正しくありません。

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縄文人の特徴として、歯そのものが小さいことと、歯列が引っ込んでいたことがあげられます。長江文明にはすでに農耕が発達し、アゴの機能が低下していたことをうかがわせます。

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また、目が大きく、彫りの深い顔立ちをしていました。私たちの周りにも、頭が前後に長い人をときどき見かけますが、おそらく縄文人の DNAである Y染色体 D2グループを受け継いでいるものと思われます。

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【再び難民の弥生人】

縄文人に遅れて、5万年前にアフリカを出た弥生人の祖先は、同じルートを通って最終的に中国北部に進出しました。この地の寒さと乾燥した気候により、東アジア人特有の、面長で目が細く、のっぺりした顔ができたと考えられています。

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弥生人の祖先は、黄河文明を作った青銅器および鉄器時代の人々( Y染色体 Oグループ )でした。中原を疾走するほどに戦いに強く、長江文明を滅ぼしたので、まず先に縄文人( Y染色体 D2グループ )が難民となって日本に逃れてきました。

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幾度にもおよぶ中国大陸の抗争によって、次に難民となって日本に逃れたのが、第1次弥生人( Y染色体 O2bグループ )です。日本に鉄器と稲作文化をもたらしました。この DNAグループは韓国人にも多く見られ、日本人の3人に1人です。

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弥生人はご存知のように、頭が前後に短く、歯列が前に出ています。歯が大きいので、アゴが成長しないと歯並びが悪くなりやすいです。日本人の歯並びの悪さは民族的な原因もありそうです。

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その後も度々、戦いを逃れて日本にたどり着いた人々に、渡来系弥生人( Y染色体 O3グループ )がいます。 O3グループは現在の中国人の主な DNAですが、これも日本人の3人に1人です。つまり、日本は中国大陸の争いに敗れた難民の、安息の地であり続けたわけです。

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